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春が待ち遠しい

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何と言う事か。前回のコラムを書いていた時は、もう少しで暖かな春がやって来ると期待を抱かせるような天候であった。ところが一転、再び第一級の寒波が襲来して雪が降り積もり、今年最大の積雪となる有り様、除雪・排雪作業のため疲労困憊、そして手足、腰、背中が痛む。やはりまだまだ春は遠い。
周りの家を見てみると雪を片付けているのは皆、私くらいかもっと年上の人ばかり。若い人はほんとに居ない。両隣には若いと言っても50歳前後のご子息がいらっしゃる筈だが、ついぞその姿を見た事が無い。年老いた親が子息の出勤を扶けるべく朝早くから奮闘している。


また雪が降り積もり寒さが戻ってきたと言っても、それでもやはり2月の終わり、雪に覆われた庭の木をよく観察して見たら、白木蓮や椿の蕾は大きく膨らみ、雪が消えればすぐにでも咲きそうな勢いであった。先ほど春はまだ遠いと言ったが、植物たちはもう春がそう遠くは無いことを感知しているのだろう。
 この大雪までは、この冬は一部の地域を除いて、ごく普通の冬であった。ただ雪の降り始めは例年になく早かったので、長い冬だなあーと感じてしまう。長い長い冬、昨年は4月の初めまで雪が残った。ここ数年、春先が実に寒い。桜の開花も遅れがち、山形名物の“さくらんぼ”も熟期が遅れがち、果たして今年はどうなるだろうか。


前回ちょっとラグビーの事を書いた。僕は年をとってからラグビーを始めた。満39歳、ちょうど息子の野球部の親の懇親会があった。その父親達の中に、ラグビーの経験者が3人居た。僕はプレーした事は無かったが、観るのは大好きで、高校の同級生が早稲田でレギュラーだったこともあり、興味津々。ついには、僕が事務局を引き受けるからチームを作れと嗾け、“東根ラグビークラブ”を起ち上げた。練習場所は自衛隊にお願いして、駐屯地のグラウンドを使わせていただいた。
日曜日の練習には、僕が同道して自衛隊のグラウンドに行く。皆(メンバーも増えた)が練習する姿を見ていたら、やっぱり体が動かしたくなり、いつの間にか一緒に練習をするようになって行った。でもいきなり走り出したものだから堪らない。肉離れに次ぐ肉離れ、それでも練習を続けねばならない。何せ素人なんだから、追いつかなくちゃならない。


そんな最中、翌年の5月、青森県のあじゃら公園ラグビー場で東日本不惑大会があり参加した。とは言っても、テーピングはがっちりしたもののとても試合に出られるような状態では無い。僕が出なくてもメンバーは(山形不惑クラブ−出場は県単位)充分足りるはずだった。
ところがキックオフの時間が来ても、メンバーの一部が来ない。(ドタキャンは時々あるのが常識と後で分かった)ロクに走ることすら出来ない僕が出るしかない。“そんなに来ないからフルバックに入れ”と言うことになった。ところがである、普通のチームならそうなのだろうが、何せ当時の山形チームと来たら、寄せ集めの上に練習も他県のチームに比べたら、さほど熱心では無い。弱いのである。参加チーム中、1,2を争うほど弱いのである。


簡単にFWは蹴散らされ、バックスの壁は破られ、ゴール目掛けて殺到して来る。とは言っても、肉離れの僕は俊敏に対応など出来ない・・・筈であったのだが、気が付くと何と相手にしがみついている(格好良いタックルになっていない。何せ初めての試合なのだから)ではないか。なぜか、ボールまで持っているではないか。もう只々必死。ひたすら肉体をぶつけ合う格闘技状態。痛さなど感じている暇は無い。これが実に面白かった。
快感これに勝るものはなし。生まれてこの方、これほど楽しい時を過ごしたことがあっただろうか。これで完全に病み付きになった。ラグビー中毒患者の出来上がりである。・・・・・・


今年は春が待ち遠しい。今まで以上に。ここ数年、封印して来たラグビーに戻るためのトレーニングを始める予定なのだ。
春になったら、雪が溶けたら、蔵王の麓で、色々な人と交流できるイベントを考えて行こう。一緒に春の野を歩いて、心地良い陽射しや風を感じながら、採りたての山菜で天プラや味噌汁を作っておにぎりを原っぱで食べて話をするなんていうのもいいネ。若葉の森を観察しながら歩くのもいいネ。春よ来い、早く来い




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2013.03.08:[Okuyama's Column]
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