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自然との共生

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3.11以降いろいろな人達が”共生”と言う言葉を口にする。それが悪いと言うのではないが、言葉の意味をもう少し考えてみる必要があるのではないだろうか。

共生とは本来、根瘤菌と大豆、アリとアリクイのように、お互いの弱い所を補い会う、良い所を発揮し合う事などによって共に助け合って生きて行くこと、と辞書にはある。
つまり3.11以前はお互いに助け合うという事が希薄になっていたのだ。
これからはもっと「お互いが助け合う社会にしなければならない」というふうになっていかなければならない。

単なる同情ではなく、それぞれの違いを互いに認め合いながら、新たに人々が弱い所を補い合って、助け合っていくシステムを作り上げる所までいかねばならないという課題を突き付けられたのだ。そしてまた、翻って人間と自然との共生を考えると、ことはもっと深刻である。

自然は何も言う事が出来ない。自然はいつも人間にやられっ放しである。毎年、何百何千と言う種、植物も動物も微生物も死に、滅んでいる。本来、これらは地球上の「生命」という点では全く平等であるはずだ。
しかし、冷酷で傲慢極まりない人間は一顧だにしようとしない者が大半である。工業的効率を高めることが高付加価値を生むと、ひたすら思い込む人間達は傲慢を通り越して狂暴でさえある。

私たちは、自然との共生を追求する。地球やそこに生きる生物を危機に追いやる全てのものに反対する。


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2012.11.27:[Okuyama's Column]
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