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H25年頭に思うこと

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 私達はリレーランナーとして次の世代に何を残すのか。60歳を過ぎた今、そうそうのんびりとしてはいられない。私たちの世代の責任として次の世代に何を残さねばならないのか、何を残すことが出来るのか。


 私たちの子供のころ、川の水は澄んで魚がたくさん住んでいる事は当たり前だった。確かに裕福では無かったかもしれないが、自然に抱かれて安らぎがあった。いつのころから、こんなに川は汚染され、近海もまた汚染され、山は荒れてしまったのか。経済の高度成長で、見かけは大変裕福になった。ある時点までは国民のすべてがその恩恵に与る事が出来そうな気がしていた。人々は多くのものを犠牲にしながらそれでも豊かになる事に期待をかけ続けて来た。今、一度豊かさ(それなりの)を手に入れたと思った人や、その子達さえもが、それらが幻想であった事に気付かされて始めている。人々が犠牲にして来たものは余りにも大きい。これは日本に限らず、世界に共通することだ。


 人間の富への飽くなき欲望、全てが手に入る筈だという強欲。自然(他の幾百万もの生物が共存する)は人間のためにどう利用しようと勝手だという傲慢さ、社会的勝者?は何をしても許されると言う鼻持ちならぬ醜悪さ、今や恥知らずの利己的な論理が世界を覆っている。・・・・私達はこんなものを次の世代に渡してはならない。


 カトリックの総本山バチカンの法王が、ここ数年クリスマスごとに、強欲の人々に考え改め行動をすることを諭している。仏教とか神道とかイスラムの指導者からは、ついぞこのようなメッセージが発せられる事が無い。彼らは彼らの社会的役割に気付いていないのだろうか。・・・・・話が逸れた。


 地球がこれほど大きく傷つけられた事は決して無い。地球上に生きる多様な生物が今日ほど大きな危機に晒された事は曾て無かった。私達はそろそろ気付かねばならない。地球の危機や生物多様性の危機は間違い無く人類の生存の危機なのだと言う事を。現代を生きる者達だけでは無く、子や孫やリレーのバトンを受け取っていただければならない全ての人達の危機であることを。・・・・もし、それでも今のやり方や生き方を変えられないとすれば、それは最早モラルの危機、存在の意義そのものの危機といわねばならない。


 アグリパークZAOはほんの小さな力しか持ってはいないけれど、地球との共生を求めて今年一年努力していくつもりです。共感できると思う人は是非、サポート会員となって共に行動していきませんか。私は、人間は世界を変えられるのだと信じています。



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2013.01.28:[Okuyama's Column]
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